久保の家
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阿弥陀如来と聖徳太子

厨子

公会堂の仏間  久保公会堂の仏間には阿弥陀如来と聖徳太子が祀ってあります。
 阿弥陀如来をお祀りしているのは、当地区と近隣に浄土真宗の信徒が多いことの影響と考えられます。
 また聖徳太子に対する信仰も厚かったことは、お隣の須坂市太子町に聖徳太子をお祀りした「太子堂」があり、毎年3月には盛大な『太子祭』が行われ、近郊から大勢の人々が集まることからもうかがわれます。

あみだ【阿弥陀】:
西方にある極楽世界を主宰するという仏。 法蔵菩薩として修行していた過去久遠の昔、衆生救済のため四十八願を発し、成就して阿弥陀仏となったという。 その第十八願は、念仏を修する衆生は極楽浄土に往生できると説く。
浄土宗・浄土真宗などの本尊。阿弥陀仏。阿弥陀如来。略して弥陀。無量寿(仏)。無量光(仏)。広辞苑

お洗濯

 久保公会堂の新築にあわせて公会堂の仏間にある厨子のお洗濯をすることが区の総会で決定したため、平成16年9月、旧公会堂の取り壊しに先立って「お魂抜き(おたましぬき)」を行い、(有)春栄堂にお洗濯を依頼しました。
 平成17年3月に公会堂が完成し、引き渡しが行われた3月22日、お洗濯されて生まれ変わった厨子が真新しい仏間に運びこまれ、 3月27日に区の役員によって「お魂入れ(おたましいれ)」が行われました。
 お洗濯費用(525,000円、消費税込み)は区の運営費のほか、老盛会の皆さんからいただいたご芳志で賄いました。

「お魂入れ」:浄土真宗各派では「御入仏法要」「御遷仏法要(ごせんぶつほうよう)」「御移徙(ごいし)」などと呼んでいます。

お勤め

 毎月1日に区の役員が持ち回りでお詣りし、御膳様と季節の花を供えます。
 3月には老盛会によって法要が営まれ、「やしょうま」を供えます。


阿弥陀堂

阿弥陀堂  江戸時代、現在の久保公会堂の敷地には阿弥陀堂が建っており、尼僧によって守られていました。
 阿弥陀如来と聖徳太子が安置されているので「二尊堂」とか「お堂」、あるいは単に「堂」と呼んでいました。
←阿弥陀堂

 明治元年に若者衆が世話人となって阿弥陀堂の大修理が行われています。
 「阿弥陀堂修得諸入用扣帳」にはこのときの修理費用として約9両かかったと記載されています。

旧公会堂  明治以降は公会堂として区の寄り合いや若者衆の集まりなどに使われていました。
 戦後、老朽化が進み、公会堂としても手狭になり、昭和31年(1956年)、隣に養蚕の作業所が建てられ、厨子は移されてお堂の役目は終わりました。
 作業所はその後、公会堂に改築されました。
←昭和31年建設の公会堂

消防詰所  昭和47年(1972年)、お堂は取り壊され、跡地に消防詰所が建てられました。
←昭和47年建設の消防詰め所
 その消防詰所も、平成16年(2004年)、公会堂新築のために取り壊されました。


聖徳太子

聖徳太子像
しょうとくたいし【聖徳太子】:用明天皇の皇子。
 母は穴穂部間人(あなほべのはしひと)皇后。 本名は厩戸(うまやど)皇子。豊聡耳(とよとみみ)皇子・法大王・上宮太子(うえのみやのみこ)とも称される。
 内外の学問に通じ、深く仏教に帰依。 推古天皇の即位とともに皇太子となり、摂政として政治を行い、冠位十二階・憲法十七条を制定、遣隋使を派遣、また仏教興隆に力を尽し、多くの寺院を建立、「三経義疏(さんぎょうぎしょ)」を著すと伝える。(574年〜622年)広辞苑

「鼻取の太子略縁起」

 敬い奉るは仏法興隆の太子十六歳の御尊像なり、しかも御自作なり。 又、世に鼻取太子と申し奉る、抑も其の由来を尋ね奉るに、往年、常敬寺、下総居住の節、天正年中、北条佐竹の合戦に寺を焼払われ住居なりがたければ、寺中の僧侶門徒の輩霊宝経巻等をかきにない、知るべ知るべへ散在す。
 然るに孫左衛門と云う門徒、日頃より篤信の人にて殊にこの太子を宗敬し居たり。 この戦争起こるや、この尊像を御供して信濃国へ立越え、高井郡栗原の庄山田の郷平塩という所へいささかの所縁を求めて居住せり。
 この家、甚だ貧賤に暮らしけるが、或る年、五月田植えのころ、妻は重き病にかかりけるも、素より召使う者もなければ早稲苗植うべき手立てもなく嘆き悲しむ。
 折柄、何方ともなく十五六歳ばかりなる童子忽然として来たり、翁悲しむことなかれ、我れ汝がために其の労を助くべしとて、即ち、どん原と申す所にて馬の鼻を取り田の代をかきならし、田植えを手伝いしければ、 孫左衛門大いに喜び、さるにても汝は何方の何人ぞと尋ねけるに、汝あやしむ勿れ、我は汝が所縁のものなり、とて何処ともなくうせにけり。
 孫左衛門、奇異の思いをなし我家に帰り、御内仏へ御明を上げれば、不思議なる哉、太子の尊像御腰より下は泥にまみれて濡れて居給う。
 孫左衛門大いに驚き、さては日頃信じ奉るこの太子、我を哀れみ大悲の御手を貸し給いしかと、愈々恭敬尊重す。
 「信州高山村誌」より

『太子祭』

 須坂市太子町の太子堂で、3月21日と22日の両日開催される伝統のお祭。太子堂には職人と学問の神様として聖徳太子が祀られ、『おたいしゃん』として庶民に親しまれています。
 『太子祭』はこの地方で最初に春を告げるお祭りで、ご本尊の聖徳太子像がご開帳され、祈願法要が3月21日午後2時・7時、22日午後2時の3回営まれます。


参考にさせていただいた資料

最終更新日 2015年10月27日

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