久保の家
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『差上申一札之事』〜重要書類の古文書

古文書
↑古文書の冒頭部分
 文政四年(1821)に高井野村の久保組と上・下赤和組との間で発生した水あらそいの顛末を記した文書が、久保区に重要書類として継承されています。
 この文書について、AIを利用したスマートフォンのアプリを使い、久保史談会の宮前芳郎氏が『分館報久保』に寄稿した解説などを参考にして解読を試みました。


古文書の解読

古文書
 ↑古文書のコピー(クリックすると拡大表示します)

解読文

※スマートフォンアプリ『くずし字解読アプリ「古文書カメラ」』の解読結果に一部修正を加えた

    差上申一札之事

一久保組用水路字比良澤上堰下堰弐筋
 有之然ル処下赤和組下茂通リ之者並上赤
 和組より下赤和方江出居候下茂通リ之もの茂
 呑水ハ右下堰より流し候水ニ而先年より是迄
 無事ニ呑水ニ用ひ来リ候処當年ハ何拾ケ
 年ニ茂無之旱魃ニ附水下リ不申依之下
 赤和ニ而久保組江何之挨拶茂無之六月
 十五日頃より同廿四日迄夜にゝ三四度茂久保
 掛ケ口右堰江手差いたし水下赤和江引
 取候得共當年之事故差構不申其
 度ゝ久保組ニ而掛口取繕いたし水引取
 処又ゝ廿九日之夜堰口留切下赤和組江水
 下シ其上七月二日昼前又ゝ久保組ニ而普
 請いたし候処猶同日昼過下赤和組之者
 大勢来リ此度ハ掛ケ口七八間茂相潰し候故
 難捨置久保組より御役元江御願申上候ニ付
 翌四日村御役人中様場所御内見
 被成下候処相違無之則御評議之上双方
 被仰聞候ハ雨降り候迄之内ニ御座候得共
 分水ニいたし候共又ハ番水ニいたし候共
 両様之内ニ可致由仰下候処双方共不
 承知故猶又御寄合御礼之上被仰聞候ハ
 右躰之儀差起候ハ下赤和之者早ゝ役
 元江茂申出内意ヲ茂可請之処無其儀利
 不尽ニ堰切潰候段不埒至極之処申訳無
 御座奉恐入候當年之儀ハ何拾ケ年ニ
 茂無之旱魃ニ候間実意ヲ以雨降り水下り
 候迄明ケ六ツ時より九ツ時迄下赤和ヘ呑水ニ三時
 引取九ツ時より翌明六ツ時迄久保ヘ用水ニ引取
 可申由被仰聞双方承知仕則七月十日ニ
 又ゝ場所江村御役人中御立會被成下
 水掛ケはづし之儀ハ久保へ引取候堰ノ掛
 口より凡二十間余茂下リ先年より之落し口ニ而
 掛ケはづし之積り双方承知之上御定メ
 被成下候急雨等ニ而満水之節畑山等不荒枯
 為悪水払へ右久保組ヘ引取候掛口ニ而除
 いたし悪水畑山ヘ押掛不申様手当
 致尤是迄久保ヘ引取候〆切り姿ヲ以赤
 和江流し候川之方ヘ定木伏せ置候由御定
 被成下候依而ハ以来久保用水堰江不差障
 様致此末万事睦補取計可申段情ゝ
 御利害被仰聞承知仕右一条ニ付双方
 共申分無之内熟仕候依之一紙連印
 を以一札奉差上候知仍如件

 文政四巳年八月
         久保組
          組頭  三右衛門
          五人組 八左衛門
          小前惣代 六右衛門
          同断  嘉七
         下赤和組
          組頭  沖右衛門
          惣代  吉郎次
        上赤和組
          組頭  庄吉
          惣代  九右衛門
   堰普請之節者
   水掛ケはづし所
   當時山主分      利八
 御割本
  梨本七郎左衛門様
  御名主源左衛門様
  御年寄中様
  御組頭中様

 右内済證文役元江双方より一紙生
 印ニ而差出し候分写し相渡申候以上
  巳 八月
      當役 名主 祐助 印


書き下し文

差上申一札之事(さしあげもうすいっさつのこと)

(ひとつ)
 久保組(くぼぐみ)用水路(ようすいろ)字比良澤(あざひらさわ)上堰・下堰(うわせぎ・したせぎ)弐筋(ふたすじ)有之(これあり)
 然ル処(しかるところ)下赤和組(しもあかわぐみ)下茂通リ之者(のもの)(ならびに)上赤和組(かみあかわぐみ)より
 下赤和(しもあかわ)方江(かたへ)出居候(でいそうろう)下茂通リ()もの()
 呑水ハ(のみみずは)(みぎ)下堰(したせぎ)より流し候(ながしそうろう)水ニ而(みずにて)先年(せんねん)より是迄(これまで)
 無事ニ(ぶじに)呑水ニ(のみみずに)用ひ来リ(もちいきたり)候処(そうろうところ)當年ハ(とうねんは)何拾ケ年(なんじゅっかねん)
 ニ茂無之(にもこれなき)旱魃ニ附(かんばつにつき)水下り不申(みずくだりもうさず)
 依之(これにより)下赤和ニ而(しもあかわにて)久保組江(くぼぐみへ)何之(なんの)挨拶茂(あいさつも)無之(これなく)
 六月十五日頃(ろくがつじゅうごにちころ)より同廿四日迄(どうにじゅうよっかまで)夜にゝ(よによに)三四度茂(さん・しども)
 久保(くぼ)掛ケ口(かけくち)右堰江(みぎせきへ)手差(てさし)いたし、水、下赤和江(しもあかわへ)
 引取候(ひきとりそうろう)得共(えども)當年之(とうねんの)事故(ことゆえ)差構不申(さしかまいもうさず)其度ゝ(そのたびたび)
 久保組ニ而(くぼぐみにて)掛口(かけくち)取繕(とりつくろい)いたし、水引取処(ひきとるところ)
 又ゝ(またまた)廿九日之夜(にじゅうくにちのよる)堰口(せきぐち)留切(とめきり)下赤和組江(しもあかわぐみへ)水下シ(みずくだし)
 其上(そのうえ)七月二日(しちがつふつか)昼前(ひるまえ)又ゝ(またまた)久保組ニ而(くぼくみにて)普請(ふしん)いたし候処(そうろうところ)
 (なお)同日(どうじつ)昼過(ひるすぎ)下赤和組之者(しもあかわくみのもの)大勢来リ(おおぜいきたり)此度ハ(こたびは)
 掛ケ口(かけくち)七八間茂(しちはちけんも)相潰し(あいつぶし)候故(そうろうゆえ)難捨置(すておきがたく)
 久保組(くぼぐみ)より御役元江(おやくもとへ)御願(おねがい)申上候ニ付(もうしあげそうろうにつき)
 翌四日(よくよっか)村御役人中様(むらおやくにんちゅうさま)場所(ばしょ)御内見(ごないけん)被成下候処(なしくだされそうろうところ)
 相違(そうい)無之(これなし)
 (すなわち)御評議之上(ごひょうぎのうえ)双方(そうほう)被仰聞候ハ(おおせきけられそうろうは)
 雨降り候(あめふりそうろう)迄之内ニ(までのうちに)御座候得共(ござそうろうえども)
 分水ニ(ぶんすいに)いたし候共(そうろうとも)又ハ(または)番水ニ(ばんすいに)いたし候共(そうろうとも)
 両様之内ニ(りょうようのうちに)可致由(いたすべきよし)仰下候処(おおせつけくださりそうろうところ)双方共(そうほうとも)
 不承知故(ふしょうちゆえ)猶又(なおまた)御寄合(およりあい)御礼之上(おんれいのうえ)被仰聞候ハ(おおせきけられそうろうは)
 右躰之儀(みぎていのぎ)差起候ハ(さしおこしそうろうは)下赤和之者(しもあかわくみのもの)早ゝ(そうそうに)
 役元江茂(やくもとへも)申出(もうしいで)内意ヲ茂(ないいをも)可請之処(こうべきのところ)無其儀(そのぎなく)
 利不尽ニ(りふじんに)堰切潰候段(せききりつぶしそうろうだん)不埒至極之処(ふらちしごくのところ)
 申訳無(もうしわけなく)御座奉恐入候(おそれいりたてまつりござそうろう)
 當年之儀ハ(とうねんのぎは)何拾ケ年ニ茂(なんじゅっかねんにも)無之(これなき)旱魃ニ候間(かんばつにそうろうあいだ)
 実意ヲ以(じついをもちて)雨降り(あめふり)水下り候迄(みずくだりそうろうまで)
 明ケ六ツ時(あけむつどき)より九ツ時迄(ここのつどきまで)下赤和ヘ(しもあかわへ)呑水ニ(のみみずに)三時(さんとき)引取(ひきとり)
 九ツ時(ここのつどき)より翌明六ツ時迄(よくあけむつどきまで)久保ヘ(くぼへ)用水ニ(ようすいに)引取可(ひきとるべく)申由(もうすよし)
 被仰聞(おおせきけられ)双方(そうほう)承知仕(しょうちつかまつる)
 (すなわち)七月十日ニ(しちがつとおかに)又ゝ(またまた)場所江(ばしょへ)村御役人中(むらおやくにんちゅう)御立會(おたちあい)被成下(なしくだされ)
 水掛ケはづし之儀ハ(みずかけはずしのぎは)久保(くぼ)引取候(ひきとりそうろう)堰ノ(せきの)掛口(かけくち)より(およそ)二十間余茂(にじゅっけんあまりも)下リ(くだり)
 先年より之(せんねんよりの)落し口(おとしぐち)ニ而(にて)掛ケはづし之(かけはずしの)積り(つもり)
 双方(そうほう)承知之上(しょうちのうえ)御定メ(おさだめ)被成下候(なしくだされそうろう)
 急雨等ニ而(きゅうなどにて)満水之節(まんすいのふしは)畑山等(はたけややまなど)不荒枯為(あれからさぬために)
 悪水払へ(あくみずはらえを)(みぎ)久保組ヘ(くぼぐみへ)引取候(ひきとりそうろう)掛口ニ而(かけくちにて)(のぞき)いたし、
 悪水(あくみず)畑山ヘ(はたけややまへ)押掛(おしかけ)不申様(もうさぬよう)手当致(てあていたす)
 (もっとも)是迄(これまで)久保(くぼ)引取候(ひきとりそうろう)〆切リ(しめきり)姿ヲ以(すがたをもって)赤和江(あかわへ)流し候(ながしそうろう)川之方(かわのかた)へ、
 定木(じょうぎ)伏せ置(ふせおき)候由(そうろうよし)御定(おさだめ)被成下候(なしくだされそうろう)
 依而ハ(よりては)以来(いらい)久保(くぼ)用水堰江(ようすいせきへ)不差障(さしさわりなく)様致(いたすよう)此末(このすえは)
 万事(ばんじ)睦補(むつみおぎない)取計可(とりはからうべく)申段(もうすだん)情ゝ(じょうじょう)御利害(おりがい)被仰聞(おおせきけられ)承知仕(しょうちつかまつり)
 右一条ニ付(みぎいちじょうにつき)双方共(そうほうとも)申分無之(もうしぶんこれなく)内熟仕候(ないじゅくつかまつりそうろう)
 依之(これによりて)一紙(いっし)連印を以(れんいんをもちて)一札(いっさつ)奉差上候(さしあげたてまつりそうろう)知仍如件(よってちすることくだんのごとし)


解説

久保組、上赤和組、下赤和組
 ↑勝山と久保、赤和、上堰及び下堰(国土地理院地図・空中写真閲覧サービスの1948年10月撮影空中写真をもとに作成)

松川扇状地へ半島のように突き出た勝山を挟んで、南側(下側)に久保組(現・久保区)、北側(上側)に下赤和組と上赤和組(合併して現・赤和区)の集落がありました。
 平沢用水は赤和側の平沢原を水源とする生活・農業用水で、上堰(うわせぎ)と下堰(したせぎ)の二水路があり、平沢原から勝山の尾根を越えて久保側の水越地籍に流下し、久保地区の飲料水などの生活用水及び水越・上野・中河原地籍の水田灌漑用水に利用されてきました。 また下赤和組では下堰から分水して飲み水としていました。
 この古文書は、文政四年(1821)の大旱魃によって発生した、平沢用水(上堰・下堰)をめぐる久保組と上・下赤和組との水争いの経過と解決方法、用水の管理について決定したことを記しています。


大旱魃時の水争い

宮前芳郎氏が『分館報久保』に寄稿した古文書の解説です。

「文政四年の旱魃」 史談会 宮前 芳郎

今年は近年にない旱魃ですが、久保区有文書によると文政四年も大旱魃でした。
 あまりの水不足で下赤和の人達が、久保に断りなしに六月十九日頃より平沢堰のかけ口を壊しました。
 はじめは『当年のこと故』と修復していましたが、再三の破壊行為に抗議すると、水は天下のものと平然。
 仕方なく、久保側は村の御役元に訴えました。
 早速現地調査の上、雨の降る迄分水する。雨の降る迄水番する。の二案を示されましたが、双方承知しませんでした。
 重ねて評議され、そもそも事の起こりは、『下赤和の者、御役元へも申し出内意をも受べきところ、その儀なく理不尽に堰切り潰し候段、ふらつ至極』とされ、当年の事は何拾年にもなき旱魃につき実意をもって雨降り水下る迄、朝六時より九時迄三時間、赤和の呑水に、それ以外は久保用水に使用する事で双方承知しました。

これで久保の水利権が確立し、以後赤和との水争いはなかったようです。
 この古文書は赤和にはないようですが、久保では重要書類として大切に保存されています。
 ちなみに文政四年は一八二一年。大旱魃も百年に一度はあるようです。

補足

「古文書カメラ」を利用した解読結果に基づいて下線箇所を訂正

原文(下線部) 解読結果に基づく訂正
六月十九日 六月十五日
朝六時より九時迄三時間 明け六つ時(むつどき)より九つ時(ここのつどき)まで三時(さんどき)
(朝6時頃より正午まで約6時間)
それ以外 九つ時より翌明け六つ時まで
(正午から翌朝6時頃まで)

参考:江戸時代の時刻の数え方

現代の時刻(定時法) 江戸時代の時刻(不定時法) 十二支
午前0時 真夜九つ 子(ね)
午前2時 夜八つ 丑(うし)
午前4時 暁七つ 寅(とら)
午前6時 明け六つ 卯(う)
午前8時 朝五つ 辰(たつ)
午前10時 昼四つ 巳(み)
正午 真昼九つ 午(うま)
午後2時 昼八つ 羊(ひつじ)
午後4時 夕七つ 申(さる)
午後6時 暮六つ 酉(とり)
午後8時 宵五つ 戌(いぬ)
午後10時 夜四つ 亥(い)

古文書の後半部分の解説

七月十日、現地で村役人が立ち会い、久保組が管理する堰の掛け口から二十間余り下ったところの落とし口を開閉することで双方が承知して決定した。
 突然の大雨等で堰が満水になったときは、畑と山が荒れないように大水を久保側に流して、溢れた大水が畑と山へ流れ出ないよう掛け口で対処する。
 久保組が締め切った状態にして管理し、赤和に流す川の方へは定木を伏せて置くことで決定した。

下堰 ←勝山の尾根を越えて水越地籍に流下する平沢用水の下堰


温故知新

近年、AI技術の発達によって崩し字の解読精度が飛躍的に向上し、これを利用することで専門教育を受けていない一般人でも古文書に接しやすくなってきました。
 久保区に伝わる古文書の解読結果をながめていると、部分的に意味不明な箇所は読み飛ばしても、今から200年前に発生した水争いの様子が生々しく浮かんできます。
 令和5年(2023)は全国で記録的猛暑と水不足に見舞われて農作物が大きな被害を被り、灌漑用水を順番で使用する「番水」も各地で行われたと報じられました。 また令和元年(2019)十月には豪雨で千曲川が氾濫して長野市や須坂市で大規模な浸水被害が発生し、久保区においても土石流で久保川が氾濫するなど大災害が各地で発生しました。
 これまで毎年、久保区の前区長から次期区長へ意味不明だけれど重要な書類として引き継がれてきた古文書には、災害発生時や予防対策に活用できる先人の知恵が含まれており、改めて貴重な遺産であることが認識されます。

勝山の急斜面を流下する下堰
 ↑勝山の急斜面を流下する下堰

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参考にさせていただいた資料

最終更新日 2024年 3月 1日

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