平成16年11月28日の朝、京都の家から電話がありました。
「三輪のお父さんが亡くなったので、これから病院へ行くところです。」
長野市の三輪にお住まいだった『三輪のお父さん』は、16年前に奥さんに先立たれたあと、下の娘さんとお二人で暮らしておられました。
11月27日、下の娘さんとご一緒に、上の娘さんが嫁いでおられる京都へ旅行に行かれました。
醍醐寺の三法院を散策して晩秋の紅葉を楽しみ、上の娘さんやお孫さんと顔を合わせ、その夜は、上の娘さんのお宅の近くのホテルに宿泊されました。
ライトアップされた夜景がとてもきれいだったそうです。
孫娘さんのお一人も同じ部屋で泊まりました。
翌朝、下の娘さんと孫娘さんが目を覚ますと、三輪のお父さんの体はベッドの下に倒れていました。
救急車で病院に搬送しましたが、すでに亡くなっておられたようです。
お孫さんからの電話に、上の娘さんは何が起きたのかわからなかったようで、冒頭の電話は、病院に駆けつける前のものです。
検死では、脳溢血のような兆候はなく、循環器の不全と推定されたそうです。
多分、夜中に起き上がった途端に、いわゆる心臓麻痺のような形で倒れたのではないかと想像されます。
数年前に肺と胃の手術を受けておられましたが、まだほかの内臓にも疾患があったと検案書には記載されていました。
その日のうちに京都から長野まで遺体が搬送され、翌29日の夜にお通夜、30日には葬儀がしめやかに執り行われました。
長野地方では、告別式に先立って斎場で遺骨にされます。
炉から取り出された骨の中に、数本の金属棒やネジが混じっていました。
内臓の手術の後、自転車で転んで腰を痛めたときの手術で埋め込んだもので、「痛いので来年は取り出したい」と言っておられたそうです。
お寺参りなどが済んで一段落したとき、下の娘さんが『万一の時の書類』の存在を思い出し、箱を開けてみたところ、
中には『葬式のときに連絡してほしい方の名簿』や『遺言状』、『遺産相続関係書類』などが納められていたそうです。
日ごろの生活どおり、最期まで几帳面な方でした。
法名 『翠紅庵釈慧純』
享年81歳
合掌
平成16年11月28日付けで叙位・叙勲を授与されました。
正六位
瑞寶雙光章
『三輪のお父さん』はサギソウの栽培を趣味にしておられ、毎年夏になると鉢植えのサギソウを持って我が家にお見えになりました。
家の爺ちゃんは山からミズゴケを採ってきて乾かしておき、三輪のお父さんがお見えになるとサギソウの鉢植え用に差し上げていましたが、毎年いただきながら、我が家ではうまく冬越しさせられず、翌年に花を咲かせることができませんでした。
平成17年8月14日の新盆で親戚の皆さんがお集まりになったときに、故人のサギソウ栽培が話題になりましたが、もう白鷺が優雅に飛んでいる姿は見ることができませんでした。
ところがその後、サギソウは京都に引っ越していて、「今年花が咲きました」というメールと写真が届きました。
長野の実家で干からびそうになっていた球根を上の娘さんが見つけ、京都に持ち帰って大事に育てていたのだそうです。
京都の水が合えば、これから優雅な舞い姿を毎年見せてくれるでしょう。
平成20年 8月
京都から「たくさん咲いて、知り合いに贈ったらとても喜ばれた」とメールが届きました。
三輪のお父さんもきっと喜んでおられることでしょう。
平成21年 9月
去年、京都から運んできてくれたサギソウがやっと我が家でも冬を越せ、秋口になってたくさん花を咲かせています。
鉢の数を増やすことができたので、三輪のお父さんと家の爺ちゃんの形見がわりに、蕾が上がってきた鉢を親戚のみなさんにお分けしました。
あちこちのお宅でまた増えてくれると、二人も喜んでくれるでしょう。