高井野の祭>高杜神社秋祭
神様にお供えをし1年のお礼をする例大祭で、もっとも盛大な行事です。
鳥居からの入り口を南大門と呼びます。
10月16日午前5時半、まだ南の空にオリオン座が見えているうちから久保区民が鳥居前に集合し、大幟と門灯篭を建てます。
地下に埋まっている基礎の石に穿ってある穴に、幅32cm、厚さ17cm、長さ2.2m、重さ約100kgの添え柱を建てます。
昔はこの添え柱を一人で担いで運んだ人がいたそうですが、今は軽トラックで運びます。
長さ10間(約18m)、根元の直径約20cmの杉の幟竿(のぼりざお)を数名で担いで運びます。
添え柱の根元で心棒を通して幟竿と控え柱を結合してから3本のロープを引っ張って引き起こし、象鼻で柱に固定して、三方からロープで引っ張って(こうみょうと呼んでいる)まっすぐにします。
高井健(号は鴻山)によって「高杜神社」と書かれた一対の大幟は、大きさが5反で、制作した年号のあるものを向かって右側、署名のあるほうを左側に掲げます。
門灯篭の柱や梁が老朽化している上に高所作業のため、時間がかかります。
前面には「高杜神社」、後面は「護国敬神」(ともに左書き)、右側面には「平成十五年今月今夜」、左側面には「久保区」と書かれた障子戸をはめて門灯篭の完成です。
山の端から日が出るころ、ようやく準備完了です。
本殿前には千本松区によって、大きさが5反の大幟が建てられます。
揮毫者は書家の源隆道で、「萬戸開国産」「闔郷浴神恩」(よろずの家々は産土神を祭り、里はその神恩に浴する)と書かれています。
堀之内区によって、大きさが5反の「延喜式内」と書かれた大幟が参道に掲げられます。
神楽殿の北の道からの入り口を北大門と呼び、荒井原区と赤和区とが交互に大幟を掲げます。
水中区によって神楽殿前に十二灯提灯が組み立てられます。
かつては鳥居前の門灯篭同様、本殿の前に毎年組み立てられましたが、現在は、神楽殿の前に鉄骨製の骨組みが建設されており、提灯の取り付けが行われています。
午後6時30分に公会堂で獅子舞を行います。
午後7時、花火の合図で灯篭行列が公会堂を出発し、高杜神社の灯篭揃い(とうろうぞろい、訛ると”とうろぞれ”)に向かいます。
行列は、花灯篭、氏子総代、区長、代理区長、1組から3組の灯篭、神楽、4組から7組の灯篭と続きます。
道中、水中区の行列と落ち合い、氏子総代、区長、代理区長が挨拶をして、三本締めで締めます。
南大門からは、千本松、新堀、堀之内、水中、久保の5地区、北大門からは、赤和、荒井原、緑ヶ丘、紫、二ツ石、松南の6地区が、あらかじめ抽選で決められた順番で練り込みます。
鳥居の前で千本松、新堀、堀之の各区と落ち合って三本締めをし、午後7時30分、花火の合図で杉並木の参道を登ります。
花灯籠と神楽殿(神輿)を載せたリヤカーが一気に石段を登ります。
午後8時、各地区の灯篭と神楽が境内に練り込み、用意された足場に灯篭を縛り付けます。
千本松区は、「五穀豊穣」の灯篭を神楽殿に取り付け、灯篭揃いが完了です。
平日にもかかわらず境内の夜店の前は大賑わいで、拝殿に登る石段に列ができています。
ただ、ここの神様はいくら土曜日にお祭りをしてくださいとお願いしても、ちっとも聞き入れてくれない、という噂がありました。
拝殿の中に安置されている本殿は、嘉永元年(1848年)に再建され、棟梁は三代目亀原和太四郎嘉博です。
本殿の大きさは間口が約3.6m、奥行きが約2m、高さ約2mです。
本殿の左右を固めている随身像は、寛政年間(1789年〜1800年)に赤和組の亀原和太四郎嘉重(初代)が彫刻し、天保15年(1844年)に三代目亀原和太四郎嘉博が修理したと伝えられています。
堀之内、水中、久保、赤和、荒井原、紫の6地区からは神楽も奉納されます。
1番籤を引き当てた区長が拝殿の前で提灯を振って合図すると、神楽の神殿上に取り付けられている御幣と花灯篭、獅子頭が拝殿に進み、神前で神事が行われます。
神主が祝詞をあげ、参加者が玉ぐしを捧げます。
拝殿脇の桟敷で各区の区長と氏子総代が獅子舞を見物します。
紫区の獅子は女獅子で、赤い房がついた鈴を持っています。
堀之内の獅子も女獅子ですが、他の獅子と違って暴れ獅子で、蚤取りの所作に特徴があることから「蚤取り獅子」と呼ばれています。
荒井原区の獅子も赤い房の鈴を持って舞います。
女獅子です。
女獅子です。
久保区の獅子も女獅子です。
獅子舞の奉納が全部終わると拝殿で礼拝して奉納終了です。
入場した順に杉並木を下り、鳥居の前で手打ちをして分かれます。
水中区と久保区の合流地点で手打ちをして分かれ、帰路を急ぎます。
ご苦労さまでした。
10月17日午後2時、花火の合図で、村の来賓、氏子総代、区長らが参加して祭事が執り行われます。
10月18日午前5時30分から区民によって幟竿が倒され、門灯篭が解体されてお祭りが終わりました。
幟竿や添え柱などは来年春のお祭りまで、杉の木の下に格納されます。
参考資料:「延喜式内 高杜神社史」高杜神社史編集委員会、平成12年
上に戻る