高井野の歴史中野騒動

年貢と米価の変遷

年貢石代

江戸時代に徳川幕府の天領であった高井野村の年貢は納米(年貢米)ではなく石代納(金納)であったため、米相場に比例して石代(納税金額)が変化した。
 明治新政府もこれを踏襲し、明治6年(1874年)7月の地租改正まで続いた。
 高井野村の納米石高を629石8斗5升5合として、これを米価に換算した石代を表に示す。

高井野村の年貢石代換算
年代 西暦 御値段(1両当たり) 単価(1石当たり) 高井野村全体の石代
慶応元年 1865年 4斗2升 2両1分2朱24文 1,449両2分2朱120文
(慶応元年安石願) 6斗4升8合 1両2分173文 ( 971両3分3朱244文)
明治3年 1870年 1斗6升 6両1分 3,936両2分1朱125文
(明治3年安石願) 3斗 3両1分1朱84文 (2,099両1分227文)
明治4年 1871年 1斗7升2合 5両3分1朱6文 3,661両3分3朱41文

米相場

明治維新前後の信州中野地方と全国的な米相場の推移を表に示す。

信州中野地方における米相場の推移
年代 西暦 信州中野地方の米相場
(1両当たり)
信州中野地方の単価
(1石当たり)
全国的米相場
(1石当たり)
文政年間 1818〜1829 1石3斗8升   2分3朱149文
天保年間 1830〜1843 1石 2升   3分3朱172文
弘化・嘉永年間 1844〜1853  9斗2升 1両1朱98文
安政〜文久年間 1854〜1863  8斗5升 1両2朱206文
安政元寅年 1854 98銭9厘
安政2年 1855 70銭7厘
安政3年 1856 80銭2厘
安政4年 1857 1円24銭2厘
安政5年 1858 1円36銭8厘
安政6年 1859 1円66銭9厘
万延元申年 1860 1円98銭6厘
文久元酉年 1861 1円62銭5厘
文久2年 1862 1円38銭9厘
文久3年 1863 1円44銭3厘
元治元子年 1864  4斗8升 2両1朱84文 1円94銭0厘
慶応元丑年 1865  3斗8升 2両2分2朱27文 3円55銭8厘
慶応2年 1866  1斗8升 5両2分223文 4円35銭6厘
慶応3年 1867  2斗5升 4両 3円64銭0厘
明治元辰年 1868  1斗4升 7両2朱72文 4円23銭0厘
明治2年 1869  1斗1升 9両1朱114文 7円87銭0厘
明治3年 1870  1斗2升 8両1分1朱84文 4円67銭0厘
明治4年 1871 2円79銭0厘
明治5年 1872 2円00銭0厘
明治6年 1873 3円00銭0厘
明治7年 1874 4円68銭0厘
明治8年 1875 5円13銭0厘
明治9年 1876 2円94銭0厘
明治10年 1877 3円64銭0厘

江戸末期〜明治初期の米相場と年貢石代の推移

米価の推移
↑明治維新前後の米価(1石当り)と年貢石代の推移


参考

【両】
金貨1両が4分、16朱、銀60匁・銭4貫文がこれと同価。明治時代以後、俗に円と同義に用いた。
【石】
1石は10斗、100升、米の場合は通常2俵半(4斗俵)
【納米】
米を納入すること。また、その米。年貢米。
【租米】
租税として納める米。年貢米。
【石代納】
江戸時代、租税収納方法の一。年貢米の代りに貨幣を以て上納すること。
【石代】
租米の代りに納める税金。すなわち石代納の金額。
【安石代】
相場より低い価格の年貢米の値段。

参考にさせていただいた資料

最終更新 2020年12月14日

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