高井野の地理>雷滝

山田温泉から山田牧場へ向かう松川渓谷の途中にある雷滝は別名「裏見の滝」とも呼ばれ、年中たくさんの観光客で賑わう村一番の名勝になっていますが、発見されたのは今から100年前と、比較的新しい名所です。

信濃の善光寺と上州・草津温泉を結ぶ山田街道を行く旅人や山稼ぎの人々には、松川渓谷の底から雷鳴のような響が聞こえていましたが、発信源は絶壁に取り囲まれていて誰も見ることができませんでした。

この音の源を確かめたのは山田村の若者でした。
明治42年(1908年)、関谷文雄を始めとする17、8歳から24、5歳の山田村青年団員5人は、ありあわせの丈夫な綱1本に命を託し、一歩一歩絶壁を降りていきました。
血の滲む苦闘の末ついに幻の滝の全容を見極める地点に到達しました。
裏見の滝であることも分かりその感慨は一入(ひとしお)でした。

それからの開発は速く、山田村は滝の背後から滝壷に通じる細い路をあけました。

松川の流水全部が一気に閃緑岩の硬い岩を打ち砕くように垂直に駆け落ちる様は壮観です。
雷滝は村の名勝に指定されています。
雷滝
山田温泉より、草津街道を、東に向ってゆく事、峨々たる深山の下、轟々の響あり之松川の懸れる雷瀧とす。
松川の上流、四里の処にありて、四周は数十丈の絶壁をなす。
故に之れが響源を探求せんとする者ありしかども、巨岩直立して、入るを許さずして、未だ懸瀑たるを見る能わず。
只一大淵をなすらんと、名づけて雷淵と称しき。
然るに明治四十二年八月十五日、山田の有志、渇本亀吉・関谷文男・藤澤賢治・宮川浪英・関谷小次郎氏等、之れが探検を企て、非常なる危険を冒して遂に淙々たる大瀑の絶壁に懸れるを発見したり。
松川の一曲折せんとする所、数十丈の岸壁をなす。
一道の大瀑巨崖を劈ひて、崩落する事数十仭、濛々たる余沫は、深谷を覆ひて、驟雨の至るが如く。
滔々たる水声は、四周の岸壁に鳴動して、萬雷の一時に吼ゆるが如く、乾坤為に震ひ、付近数百歩の地にありては、夏季の候と雖も、尚冷気の肌を沾すを見る。
加ふるにこの瀧の背部は、一大岩崖をなし、瀑背より之れを望見することを得。
人一度茲に立てば、神気も又遠くなりて、真に魂消え霊とぶの思あらしむこの瀧たるや、その水量の莫大なる、その水声の轟然たる、殊に爆背より之れを望見し得るに至りては日光裏見の瀧の只名のみを留むるの今日、真に天下の一品たるを失わず。
今や山田青年会が、一週日の危険と苦心とは、険を夷し、棚を設け、観客をして、晏然として、この偉観を恣にせしむ。
且て探勝家某氏杖を茲に曳き、嘆賞して曰く、由来我國瀑布多し。
然れどもかくの如き偉観は、華厳をおいては、見るべからずと。
天下の勝を探らんとするもの、須く来り観よ。
『長野縣上高井郡誌』より