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笠岳

上信越国境の山並み
 ↑千曲川の堤防から望む上信国境方面
 善光寺平から東の上信国境の山並みをぐるっと見渡すと、松川扇状地の奥の稜線からちょこんと突き出た三角形が目に入ります。
 麓の集落からはその姿をほとんど見ることができませんが、頂上には笠嶽神社の祠が祀られたり二等三角点が設置されていて、古くから木樵や旅人の道標となってきた村を代表する山です。


笠岳

笠岳
 山ノ内町との境界にそびえる笠岳は、その特異な山容によって、数ある高山村の山々のなかでも、ひときわ目につき、人々に最もよく知られた山である。 山名は「笠岳(かさだけ)」と「笠ヶ岳(かさがたけ)」の両方が用いられ、高山村では「かさだけ」と呼び、国土地理院の地形図では後者が採用されている。
 眺める方向によって、鋭い尖峰になったり、つりがね型になったり、山容はさまざまに変化するが、山なみからひときわ突出する点は共通している。 東の松尾根(まつおね)鞍部からは240m、西の神池山との鞍部からも170mの突出がある。
 笠岳のこの顕著な突出部は粘性の大きいデーサイト質ないし安山岩質の溶岩から構成されており、この笠岳火山岩類は、より下方の斜面を構成する笠越火砕岩類(かさこしかさいがんるい)の上に塊状に乗っている。 先行する火砕流の噴出があり、後に溶岩が噴出して塊状の溶岩円頂丘を形成したと見られる。
 山体形成後100万年以上の間、風化と浸食を受け、若い火山と違ってかなり変貌したとはいえ、いまだ溶岩ドームの山容を保持している山であるといえる。
 現在も標高1850m付近の笠岳火山岩層に滑落崖があって崩落が続いており、その下方には最大で直径4mを超える巨大な安山岩の岩塊が累積している。
『信州高山村誌』より


山容

十二崖から
↑三角の突起(村の西端・十二崖地籍から)
県道66号豊野南志賀公園線から
↑菅笠型(県道66号豊野南志賀公園線から)
南志賀パノラマルートから
↑お椀型(旧「南志賀パノラマルート」から)
上信スカイラインから
↑釣鐘型(上信スカイラインから)
万座峠から
↑釣鐘型(万座峠から)
山田峠から
↑尖峰(山田峠から)
横手山から
↑尖峰(横手山から)
平床大噴泉
↑釣鐘型(山ノ内・平床大噴泉から)


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町村誌などに記された概要

『長野懸町村誌』「奥山田村」より【笠嶽山】

 往古、笠トリ山という、民有地。大字山田入の内
 高さ508丈、周囲未だ実測を経ず。本村の寅の方にあり。
 嶺上より三分し、北は平穏村、佐野村に分属し、南は本村に属す。
 山脈、東は木曾ノ城に接し、西は立壁山に連る。樹木鬱蒼。
 登路1條。卯の方字馬繋小場(まげこば)より上る、高さ1里10町嶮路なり。
 渓水3條、山腹の渓谷より発し、各西流し、山麓にて山田川に入る。各長さ20町幅5尺。

『長野懸町村誌』「中山村」より【笠嶽山】

 高さ、周囲未だ実測を経ず。本村の東方にあり。
 嶺上より二分し、北は佐野村に分属し、南は本村、奥山田村に属す。
 山脈、東は横手山に連り、西は竪壁山に接す。雑樹欝欝葱然たり。
 登路2條、一は東北の方佐野村より登る、高さ2里許、易にして遠し。一は南の方字「イタドリ」より登る、高さ1里余、嶮にして近し。

『長野縣上高井郡誌』「地勢」より【笠ケ岳】

 上下高井の郡界にありて、前橋街道と山田道との中間に挟まる。 故に草津行の旅客は、渋よりするも、山田よりするも、皆此の山脚を巡る。
 山容恰も笠を伏せたるが如し。
 北越の沿岸、日本海を航行する船舶は、遙かに此の山を目標とすると云う。

『長野縣上高井郡誌』名所旧跡「山田村」より【笠岳】

 字奥山田より下高井郡平穏村字佐野との間に在り。海抜7088尺、山脈東は横手山に連り、西は中倉山に亘る。
 其の状、実に笠嶽の名に背かず。屹として、群山の盟主に似たり。
 夏季最も杜鵑の声に富み、秋期亦紅葉に名あり。
 頂上より、上越甲遠等の諸州を下瞰すべし。
 晴天雲なき日には佐渡より直江津に至る船舶、此の笠嶽を以て、指針と為す云う。
   海上胤平
 「麓辺の時雨にぬれて笠がたけ たのむ甲斐なき名にこそありけれ」

『上高井歴史』「上高井歴史付録」「山田村」より【笠嶽】

 山田温泉より東方里余にあり。海抜7088尺。其の状、笠を伏せたるが如く、屹として聳えてり。


開山

笠岳神社←笠嶽神社の祠
 南志賀の高峯、笠嶽さんの山開きの行事が、6月13日、山頂の笠嶽神社で祭主の小林神官をはじめ村内外の永年参拝者30数名に登山客も加わり、盛大に行われた。(毎年6月の第2日曜)
 笠嶽は女子供でも気軽に登れて、登山の味を充分味わえ、眺望はすばらしく、涼味満点であり、梅雨明けと共に登山者も増加の一途をたどっている。
 開山者は駒場の小林熊蔵。 今から94年前、木曽御嶽にて修行後、明治17年5月1日、当時の戸長・宮川太右エ門氏より笠嶽山頂並びに大門として2間幅約30丁を無償で借受し、全伍長と共に6月30日、30丁の大門参道を完成した。 7月1日、大鳥居を建て、海抜2,067米の山頂に国常立之尊(くにとこたちのみこと)、大国主之尊(おおくにぬしのみこと)、大山祗之尊(おおやまずみのみこと)、軻遇突智之尊(かぐふちのみこと、火之神)、大月姫之尊(おおげつひめのみこと、養蚕の神)の五柱を祭祀し、家業繁栄、無病長命、火難盗難を除く神徳を祈願し、笠嶽大門稲荷(商売繁盛、穀物豊作)とともに開山した。
 現在は火の神、水の神、風の神、猿田彦太神(交通安全)も祈願している。
 当時の信徒総代は湯本正左エ門、関屋永造、宮川光之助、涌井田伝三、平林茂一、久保田藤右エ門の6名で、祭主は小布施村の小林茂作、山田村の小林熊蔵の両名であり、二代目祭主は駒場の小林清兵衛、三代目は駒場の小林上一郎、四代目は綿内の小林清重(駒場出身)が現在継いでいる。
 昔は十二崖(平塩と関場境界)より笠嶽神社までの参道に紙の小さな幟を立てながら、大門途中より登り参拝したという。
 現在は西側の鞍部に参道があり、永久的な鳥居建造も計画されている。
『館報たかやま』より

山開き


二等三角点の山

二等三角点標柱

二等三角点概要
基準点コード TR25538031801
等級種別 二等三角点
点名 笠ヶ岳
所在地 長野県下高井郡山ノ内町大字佐野字笠ケ嶽2781番2
北緯 36°40′35″.8797
東経 138°28′53″.3216
標高(m) 2075.74
平面直角座標系(番号) 08
平面直角座標(X)(m) 75075.454
平面直角座標(Y)(m) -1655.444

国土地理院 基準点・測地観測データより


志賀高原のシンボル

田ノ原←田ノ原より
 昭和32年(1957年)に制作された『美わし(うるわし)の志賀高原』に、木戸池とともに志賀高原の象徴として歌われています。

『美わしの志賀高原』
 作詩 西沢 爽
 作曲 古賀政男
 唄 霧島 昇
1バラ色のあの尾根は 遥かな未来
 あなたと見つめた 高原ホテル
 白樺の小立の中を バスが行く行く 歌声のせて
 ああ 美わしの志賀高原
2笠岳も暮れてゆき 楽しいキャンプ
 二人の心に 灯つけて
 青春の二度ない夢を 映せ木戸池 夜の明けるまで
 ああ 美わしの志賀高原
3思い出は高原の ヒュッテに咲いた
 氷の花さえ ロマンスの花
 粉雪のあの丘こえる スキーリフトに 輝く若さ
 ああ 美わしの志賀高原

航海伝説

小木港からの遠望
↑佐渡小木港から望む信越の山々(カシミール3Dで制作)

 実際は直江津−小木間の佐渡航路で、日本海の真ん中に出て雪をいただいた笠ヶ岳が肉眼ではぼんやり見えるていどだという。 しかも、晴天の少ない新潟県上越地方では見えるのもまれだから常に指針とするわけにもいかない。 直江津市社会教育課では、むかし、たまたま目標にした船が民話になって伝えられているのではないか、といっている。
『信州百山』より


日本三百名山

笠岳山頂←山頂の祠と横手山
 日本山岳会によって1978年(昭和53年)に選定された300山に笠ヶ岳と横手山が含まれています。
 また清水栄一氏が選定した「信州百名山」にも笠ヶ岳と横手山が含まれています。


笠岳ヒュッテ竣工

スキーヤーのオアシス 総軽石づくりのモダンな家

極寒零下20度と闘い遂に完成

笠岳ヒュッテ  度々遭難者があり難コースであった山田―熊ノ湯線を安心して通れるものにと県観光課きもいりで総カル石造りの2間半×9尺高さ9尺という小じんまりしたしかも完全なヒュッテ(山小屋)が笠岳鞍部に15日見事に完成した。

←笠岳ヒュッテ

この工事は県観光課で15万の予算で計画され、村、温泉、長野電鉄、青年団、スキークラブその他地元民多数の協力で長野にある浅間ブロック会社の手によって11月1日より着工し、運搬は牧場まで馬で、現場へは人の背で、その上工事は海抜2千メートルの高地で、積雪は6尺余り、寒気は零下20度という吹雪と厳寒とにいどみながら凡そ10名の人夫の懸命な努力とこの責任者である宮川助役の熱意と活動によって見事に竣工を見たのである。 なお総工事費は思わぬ難工事のため超過し約23万円にのぼる模様である。

竣工式は中村副知事を招いて近日中に山田温泉で盛大に行われる。

カル石ブロックとは浅間山麓にある無尽蔵カル石をバラス状に砕きそれを長方形にセメントで堅めたもの、丁度大きなオコシの様なかっこうである。 これをレンガの様に積み重ね、笠岳のものは屋根までブロックである、大きさは標準型で6.6寸×6.6寸×2尺1寸で目方は名にそむかず大体4〜5〆である。
『山田村公民館報』第19号より


参考にさせていただいた資料

最終更新 2019年 1月29日

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