「おらほも見とくらい」:”私達のみどころもどうぞご覧下さい”【北信州の方言】
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北信州高山村の久保地区は、観光案内にはありませんが、山郷の生活に密着した素朴な自然や文化を味わえます。
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「蛍見や転びながらもあれ蛍」一茶【見頃:6月下旬〜8月中旬】
「福寿草と蛍の郷」久保区の地図をご覧ください。
○久保地区は、”勝山”の裾に沿って、全長約1,200メートル、標高差約130メートルの坂道の両側に70戸弱の民家が連なる集落です。
久保地区の入口は村のスポーツパークで、トレーニングセンター、コミュニティーセンター、夜間照明付きのグランドとテニスコートがあります。
コミュニティーセンターの反対側では、ステンレス製の「招き猫」や「福籠(ふくろう)」くんたちがご挨拶しています。勝山ステンレス工業さん(TEL:026-248-1673)が製作する猫たちはテレビでも紹介され、長野県内のあちこちで「傘立て」や「看板猫」として手を挙げています。
テニスコートの桜の木の下に「ホタルの郷」の案内標識とベンチ、石垣には地区の地図があります。
テニスコートの隣は久保神社の境内で、ちょっとした公園になっており、東屋と久保神社の社殿があります。
案内標識から100メートルほど進むと高杜神社の参道入り口で、大きな石の社標と鳥居があり、杉並木の奥に拝殿と社殿が見えます。
「水中のしだれ桜」の案内標識のある十字路を過ぎると上り坂になり、冬期間は積雪量が目に見えて増えるため、ここから先の住人の生活に4輪駆動車は必需品です。
車社会になる前の冬には、上の方に住む子ども達が手製の”そり”で道路を滑り下り、勝山哲さんのお宅の生け垣に”そり”を置いて学校に通っていました。
中には、勢いが余って寒中の川に突っ込む”そり”もありましたが、それでも懲りずに”そり”通学は続きました。
地区の入り口から500メートルほど進むと、道路は久保川と平行して上っていきます。
かつて久保川の川底には鰍(かじか)や沢ガニが住んでおり、子どもたちは石の下にいる鰍を捕まえて遊びましたが、今はコンクリートで固められ、こうした生物の姿を見ることはできなくなりました。
また、川に石がなくなり、大雨が降ると雨水が一気に下流に流れるようになって、蛍の幼虫や餌のカワニナまで流される恐れがあり、心配されます。
「辻の家(つじのうち)」と呼ばれる窪田先生のお宅の角を曲がり、ぶどう畑の間の急な坂を上ると、みんなが「どうろくじん」とよんでいる道祖神があります。
”勝山”の裾に沿って道を上って行くと「十々木入(とときいり)」地籍に入ります。「十々」の本来の字は、「斗」の”ちょんちょん”の所が小さな「十」という珍しい字です。
「十々木入」の入り口にお住まいの十々木謙一郎さんは、「蛍見にこねえ会」の会長さんで、蛍の郷の整備に取り組んでおられます。
「十々木入」の奥には小さな”ため池”があり、鯉や金魚が泳いでいます。池のほとりには桜の木が植えてあり、300年後には桜の名所になっているかもしれません。
久保川に沿って林道・月生線(つきおいせん)を上ると「育成広場」に到着します。
遠くに見える北信越のやまなみは、ここまで登ってきた疲れを忘れさせます。
育成広場から見る秋の北アルプス白馬岳と北信越の山なみ
育成広場の先の雑木林には、夏になると「オニムシ」と呼んでいるクワガタやカブトムシがクヌギの樹液を吸っています。
北信州高山村久保地区までの道順です
上信越道の須坂長野東インターを出て右折し、900メートル進みます。
”幸高町”の交差点を右折し、菅平方面に2.7キロメートル上ります。
”上八町”の交差点を左折し「北信濃くだもの街道」を道なりに4.9キロメートル北進します。
途中、桜の名所「臥竜公園」が左に見え、「豪商の館 田中本家博物館」入口の看板を左に見てトンネルを抜けると、右側の山裾には「須坂温泉」があります。
「信州高山温泉郷」の案内看板のある”本郷”交差点を右折します。
山田温泉方面に向かい、松林の中の「和食・そば処 高山亭(こうざんてい)」を左手に見て1.7キロメートル進み、”農協西”の信号を右折すると入り口です。
(距離は目安です)
長野新幹線・長野駅で長野電鉄に乗り換え、須坂駅で降ります(約25分)。
「山田温泉」行きバスに乗り、「農協前」で降ります(約10分)。
30メートルほど下って”農協西”の信号を横断すると久保区の入り口です。
地元の住人は、1つ手前の「堀之内上」でバスを降り、「高杜神社参道」の標識のある郵便局前の道を上がります。
運賃が安く、時間は余り変わりません。
信号脇の「collPain(コルペ)」さんでは焼きたてのパンを販売しています。